■Sample>>ヒミツ ノ ハナゾノ ?

「うわ、春日さんのお弁当かわいいね。自分で作ってるの?」
「え? あ、違う違う。これは譲くんが……」
「譲くん?」
 日野さんが首を傾げる。隣から朔に小さな声で「望美」と呼ばれてはっとした。そういえば幼馴染とはいえお隣の、しかも年下の男の子にお弁当を作ってもらってるってどうなんだろう。
 うわ、なんとなく女の子失格な気がしてきた。
「あの、譲くんって隣の家に住んでる幼馴染の子なんだけどね。すっごく料理が上手で」
「あ! 知ってるよ、それ。有川兄弟の弟のほうでしょ」
「天羽さん、将臣くんたちのこと知ってるの?」
「知ってるっていうか。普通科では結構有名だし。あの二人って対照的な感じだけどどっちも顔はいいほうだもんね」
 そうなんだ、と思った。あの二人ってそんなに人気なの? 言っちゃ悪いけど将臣くんなんて自己中だし大雑把だし。譲くんは几帳面で、ちょっと口うるさいところもあるし。
 私がもやもやとそんなことを考えている間にも天羽さんたちの話はどんどん進んでいく。
「でもさ、料理上手な男の人ってポイント高いと思わない?」
「まあ確かに。できないよりは少しでもできたほうがいいかもね」
「そうですね。あの、家事とか二人で分担できるのって素敵です」
「そうね。まあ洗濯ができるだけじゃ話にもならないけど」
 最後の朔の言葉に思わずガクッとなりそうになった。それってもしかして、もしかしなくても景時さんのことだろうか。けどこっちの世界に来てからは景時さんも料理に目覚めてる感じがするんだけど。
 ちらりと朔を盗み見ると何食わぬ顔で卵焼きを口に運ぶところだった。
「てことは、料理については全員一致? だよね、やっぱり結婚するなら一通りは家事のできる人がいいよね」
 天羽さんが一つ目のパンを口に運びながら言った。ちなみに日野さんと冬海さんはお弁当だ。
「え、結婚?」
 私が思わず聞き返すと天羽さんは、勿論と頷いた。
「だって、ただ付き合うだけなら別に料理のできる人じゃなくてもいいじゃない? むしろこっちが作ってあげて彼女気分を味わいたいというか」
「うわ、天羽ちゃんが乙女チックなことを……」
 日野さんがぼそりと呟き、それに気付いた天羽さんは少しだけ膨れっ面をして見せた。
「じゃあ日野ちゃんは? 彼氏にするならどんな人がいいの? てか、この学院にいる人で、もし付き合うとしたら誰がいい?」
「は?」
 その唐突な質問に日野さんは一瞬ぽかんとする。続いて呆れたという声を出した。
「そういうの、むやみに人に言うものじゃないでしょ」
「いいじゃない。さっきも言ったけど、減るものじゃないし」
「それはそうだけど」
 言い淀み困った表情をしている日野さんに追い討ちをかけるように天羽さんが言った。
「じゃあ、こうしよう。春のコンクールメンバーと、それから加地くんを含めた転校生三人。このメンツの中で一人、恋人にしたい人を選ぶとしたら誰?」
「は?」
 今度は私が間抜けな声を上げる番だった。コンクールメンバーっていうのは日野さんとも面識あるだろうけれど、転校生ってヒノエくんや敦盛さんのことだよね。日野さんがあの二人と関わったのって、土曜日の公園とあの夜だけだと思うんだけど。
「え、あの、なんで転校生も……?」
 何となく挙手なんかしてみたりして、恐る恐る尋ねた私は、話をさらに微妙な展開へと導いてしまった。
「なんでって。あ、それなら有川兄弟も入れとく? それから最近代理で入った若い先生たちも入れちゃおう」
「え?」
 今度声を上げたのは朔。
「藤原先生はともかく、梶原……先生はどうかしら」
 梶原と先生との間に妙な間を感じた気がするのは気のせいだろうか。
「いいって。この際だから気にしない。それに今挙げた人たちって、何気に女子から人気あるんだから」
嬉々として話す天羽さんとは対照的に、日野さんは一瞬複雑そうな顔をした。というか、私もちょうどそんな気分だ。
 弁慶さんが一部と言わず大半の女子に大うけしていることは知っていたけれど、こうして改めて言われるとなんだか微妙な気分になる。
 自覚はなくとも、私はきっと珍妙な顔をしていたんだろう。冬海さんが心配そうにこちらを窺っていた。
「じゃあ、まずは言い出しっぺの私からね」
 そうこうしている間にも天羽さんの進行で話はどんどん進んでいく。
「恋人にするなら、か。さっき挙げたメンバーの中だとやっぱり私は藤原先生かな」
  その瞬間、今度はお行儀良く箸でつまんだばかりだったタコウインナーが再びお弁当箱の中に逆戻りしていった。
「……はい?」





■Sample01>>夏だ! ホラーだ! 怨霊とファータだ!>>高宮むろ

「それで、本当のところはどうなの。落ち武者って本当に出る?」
「そんなわけないだろ。もしいるなら俺の代わりに授業でもしてもらいたいよ」
「落ち武者が授業……」
 香穂子は自分が口にした言葉に思わず数回頭を横に振った。刀を指揮棒代わりに音楽の授業をするのだろうか。何があってもそんな授業など受けたくはない。
「お、なんだ日野。顔色悪いぞ」
「ほんとだ。大丈夫、日野ちゃん?」
 天羽に覗き込まれて香穂子はかくかくと首を縦に振った。まさか落ち武者の授業風景を想像して気分が悪くなりました、とは言いたくない。
 香穂子が曖昧に笑っていると金澤が思い出したように言った。
「そういや日野、お前今日の古典のプリントやってなかったんだってな。先生が言ってたぞ」
 金澤のその言葉にもまた香穂子は軽く頬を引きつらせた。幽霊の話題から転換したはいいが嫌なことを思い出してしまった。
「はい。だからこれから職員室に……」
 行くところです、と続けようとした香穂子は突然後ろから声をかけられてそちらを見た。
「あれ、日野さん。放課後も君に会えるなんて嬉しいな」
「あ、加地くん」
 色素の薄い明るい髪が向こうから近づいてくる。加地は大股で歩いてくると香穂子の前で止まった。
「そうだ、日野さん。今日はごめんね。授業中に迷惑かけちゃって」
「ううん、気にしないで。私の方こそいつもお世話になってるし」
「でも」
「なになに。何があったの?」
 香穂子と加地の会話に、興味津々といった様子で天羽が口を挟んだ。
「今日の古典の授業で、僕が日野さんに教科書を見せてもらってたんだ。だけどそれを見た先生は日野さんが忘れ物をしたんだと勘違いしちゃったみたいで」
「へえ。古典ってあれでしょ、産休代理の新しい先生」
「そうそう。なんか変わった先生だよね」
「確かにね。授業は分かりやすいんだけど」
 天羽はそこで一旦言葉を切り、納得したように香穂子を見た。
「ああ、だから呼び出されてるんだ?」
 そんな天羽に香穂子は苦笑する。
「うん、まあね。でも宿題忘れてたのは本当だし」
「けど、やっぱりだめだよ。僕も一緒に行くから誤解は解いておこう?」
 加地の言葉に香穂子は慌てて首を振る。
「ううん、いいよ。加地くんに悪いし、私は大して気にしてないから」
「日野さんはよくても僕が気になるよ。日野さんは僕の大切な人なんだから」
 加地のその一言に思わず固まった香穂子を見て、これまで黙って三人の会話を聞いていた金澤がおもむろに口を開いた。
「なあ、お前ら転校生の間では今そういうのが流行ってるのか?」
「はい?」
 一瞬意味を図りかねた加地が聞き返す。
「いや、なんでもない。まあ、あとは適当に頑張れや」
 ぱたぱたと肩越しに手を振ると金澤は背中を向けて歩いて行った。その後ろ姿を見送りながら加地が首を傾げる。
「金澤先生、何のこと言ってたんだろう」
「ああ、もしかしてあれじゃない? ついこの間来た転校生たちのこと」
 天羽がぽんと手を叩いて言った。
「それって一週間くらい前に来た人たちのこと?」
「そう。加地くんが転校してきたのがちょうど六月の半ばだったでしょ? その三週間後にまた突然転校生が三人も来るっていうから報道部としても注目してたんだけど……」
 天羽はそこで一度言葉を濁した。
「多分、金やんが言ってたのはそのうちの一人のことじゃないかな」
 彼女にしては珍しく苦笑とも取れる表情を浮かべていることに、今度は香穂子が首を傾げる。
「その人がどうかしたの?」
「何て言うか、ちょっと面白い人なんだよ。男子が二人、女子が一人転校して来て、そのうち女の子の方は私のクラスなんだ。残りの男子は土浦くんのクラスだったと思うよ」

■Sample02>>夏だ! ホラーだ! 怨霊とファータだ!>>高宮むろ

 志水がゆっくりとそちらを見ると、ちょうど彼の斜め横にあった木の幹が大きく抉れている。その木の根元には大きく太りすぎた蛇のような生き物が、蛇にしては異様なまでに大きな牙を覗かせながらこちらを見ていた。
「……?」
 蛇に牙があるとは知らなかった、と首を傾げていると、どこからか走り出てきた人影が慌てて志水の側に駆け寄った。
「ねえ、大丈夫?!」
 その人は長い紫苑の髪をなびかせながら志水の隣に膝をつく。
「ちょ、ちょっと、いつまで寝てるの」
「だって、さっき……」
 さっきは確かに「寝てて」と言われたはずなのに、と志水がその少女を見上げると、彼女は一瞬驚いた顔をした後ぶんぶんと首を横に振った。
「も、もう起きてもいいの。て言うか早く起きて、お願い」
 彼女の言葉に志水は体を起こす。その間も少女はあの蛇のような生き物に気を配っているようだった。
 起き上がった志水を立ち上がらせ自らの後ろに庇うと、少女は先ほどからずっと持っていたらしい鉄パイプを握り直した。
「私が合図したら一気に走れる?」
 志水の方は見ずに目の前の蛇を見据えたまま少女が尋ねる。その言葉に頷きかけた志水は、途中ではたと動きを止めた。
「あ、だめです。チェロが……」
「それって、あの楽器のこと?」
「はい」
 少女はちらりと視線だけ志水に向けて確認してから、考え込むように辺りを見渡した。
 森の広場と呼ばれる場所だけあって周囲には木が生い茂っている。特に彼女たちが今いる一角は、広場の奥であるために一層うっそりとしていた。
 戦える者は自分一人しかいないこの状況で、あの大きな楽器を無傷で移動させるのは無理だと少女は思った。
 それでなくとも、この悪天候の空模様の下こんな所でうたた寝をしていた彼を庇い切らなくてはならないのだ。彼に怪我を負わせることだけは許されない。
 少女は少し考えた後「それなら」と切り出した。
「君はここにいて。絶対に一歩も動かないで。いい?」
 今度は志水が頷いたのを見ると、少女は志水から離れて蛇を誘うように木々の中へと駆け出した。途中、持っていた鉄パイプで低い所の葉を揺らして音を立ててやると蛇はのっそりと向きを変えて少女の後を追い始めた。

***

 とは言え、このままでは明らかにこちらの分が悪いと望美は内心舌打ちした。
 あの蛇のような怨霊はその巨体の割には意外なまでに動きが早い。先ほど自分を追い始めた時には見た目通りのゆっくりした動きだったくせに、と少し騙された気分になりながらも望美はとにかく追いつかれまいと走っていた。周りを木に囲まれたこの状況では、満足に武器も振るえない望美の方が見るからに不利だ。
 とにかく人気のない開けた場所に行きたいと考えていた彼女の視界がふいに開けた。
 前方に池が見える。闇雲に走っているうちにいつの間にか森の広場の中央近くまで来ていたようだ。
 それでもまあいいかと望美は思った。
 空を見上げれば先ほどよりも濃さをましている雲はますます重たげに、泣き出す瞬間を今か今かと待ち構えている。
 こんな日の夕方、最終下校時間まで後一時間と迫った頃にわざわざ森の広場に出てきている生徒は皆無だった。
 ここなら思い切り戦える。
 正直鉄パイプ一本で怨霊と渡り合えるのか不安だったが恐らく竹刀や木刀よりはマシだろうし、それに何よりきっともうすぐ誰か来るはずだ。この場には不適な一般生徒ではなく、望美の力となってくれる誰かが。
 それまでの辛抱とばかりに望美は鉄パイプを握りなおして怨霊が飛び出して来るであろう木の茂みを見据えた。
 ひとつ、ふたつ。三呼吸目で彼女の予想通りの場所から躍り出てきた怨霊に向かって望美は鉄パイプを打ち込んだ。

■Sample03>>夏だ! ホラーだ! 怨霊とファータだ!>>高宮圭

 穏やかに微笑みながら立つ柚木を眺めながら、景時はその優雅さにぽかんとした。まるで貴族然としていると思ったのだ。
「ふふ、僕らはそんなに噂になったんですか? 恥ずかしいな」
 譜面台を組み立てつつ柚木に負けない爽やかさで弁慶が笑う。女子が色めき立った。
 一瞬見とれたようにきょとんと弁慶を見ていた火原だったが、我に返って声をあげた。
「あっ、ねえねえ金やん! 練習室にさ、でかい幽霊が出るってホント?」
「何だ、唐突に」
「最近の噂だよ! 幽霊騒ぎ、あるでしょ。みんな怖がってるんだ」
「そのせいか最近日野さんも練習室を使わなくて、火原も気にしてるんですよ」
 さらりと続けられた柚木の補足に、火原が赤くなって泡を食ったが、柚木はそれにくすくすと笑う。
「それに、夜な夜な幽霊が校舎を徘徊してるって噂もありますし」
「なーるほどねえ。だがなあ、幽霊なんてそんなもん、ほいほいいたらたまらんぞ」
 金澤がため息混じりに意見したが、どうやらはぐらかされてはくれないようだ。他人事のように見物しながら、景時は思い当たる節がありすぎて気が重くなる。
「はぐらかさないでよ、金やん!」
「そうですよ、先生! ね、日野ちゃん」
 唐突に割り入って来た声にぎょっとして振り向くと、普通科の生徒が二人近づいて来ていた。
「生徒を恐怖のどん底におとしめる! 近づく影、足音さえにも敏感になって授業も身が入らない! 由々しき事態だと思いますよね!」
「あ、天羽ちゃん……」
「どこからわいてきたんだ、お前……」
 ぼそりと金澤が辟易したように呟くのにも天羽は怯んだ様子もなく得意げに笑う。
「この報道部二年天羽菜美をなめてもらっちゃ困りますよ!」
 意気揚々と胸を張って、天羽は怒涛のようにまた金澤に問い始めた。
 ぽかんとして眺めていた景時だったが、不意に小突かれて見ると、弁慶がこちらを見ている。面倒なことになる前に、と表情が言っていて、それを正解に読み取り、景時は頷いた。しかし、
「あっ、藤原先生、梶原先生も逃げないで下さいよ! ネタは上がってるんですから。藤原先生がデートしてたとか、夜の学院近くで見たとか」
 逃げる一歩手前で止められて、仕方なく去ろうとしていた足を止める。
「えっ、藤原先生彼女いるの!?」
 天羽の台詞に反応したのは火原だ。身を乗り出して訊いてくる。
 弁慶よりも景時がぎょっとした様子だったが、弁慶はあっさりと笑った。
「いると思いますか?」
「うん! それにモテそうだし!」
「おや、そんなことはありませんよ。そちらの彼……柚木くん、でしたか。には敵いませんね。……けれど、ならいるということにしておきましょうか」
「ええっ、何それ!? じゃあいないの?」
「では、いないということで」
「ええーっ!!」
 いちいち返ってくる反応をほほえましく思いつつかわす。
「ふふ、ごまかすのがお上手ですね、先生」
 柚木が火原の肩を引いて留めながら笑う。
「そうですか? 女性を困らせるのは本望ではありませんから。日野さんが困った顔をしていたので、気になって。……僕に何か用ですか?」
 柔らかく微笑みかけると、それまで呆然と見ていた香穂子が我に返った。
「あ、その、プリントを提出に来たんです。職員室の机に置けなくて」
 おずおずと差し出されたプリントを受け取りながら、弁慶は苦笑する。確かに積まれた本や何やで埋まった机には置きにくいだろう。
「すみません、今朝から片付いていなくて」
 すると柚木が、そうでしたか、と呟くと、すまなさそうな表情で香穂子を覗き込んだ。
「ごめんね、日野さん。気づかなくて」
「いっ、いいえ!」
 慌てて香穂子が退いて、その様子に周りの女子がにわかに殺気立つ。
 おやおや、と弁慶は笑った。
「君は彼女を困らせるのが好きなようですね」

■Sample04>>夏だ! ホラーだ! 怨霊とファータだ!>>高宮圭

 静寂が支配するはずの夜の学院を、荒々しい足音が駆け抜ける。人のものではありえないおどろおどろしい絶叫が轟き、その巨大な怨霊は放たれた矢に時折立ち止まるが、なかなか致命傷には至らない。
「敦盛、ヒノエ、お前たちも戦えよ」
 ついに焦れて譲は傍らを走る二人に訴えるが、ヒノエはいけしゃあしゃあと返した。
「凌げてるんだから、いいだろ。追いつかれたらこんな細い廊下じゃどうしようもない」
「もうすぐエントランスに出る。そこで仕掛ける」
 それまで自分一人で凌げと言うのか、と譲は苦く思ったが、確かに仕方のないことではある。狭いからこそ近距離戦というものだとは思うが、今は距離がある以上、追いつかれたその瞬間が危険だ。万が一の避ける場所がないのである。
それにしても、ここ最近夜に仲間たち皆で学院に忍び込んでは怨霊を片付けているが、やはり学院というのは戦いにくいところだった。効率を上げるために分散しているものの、皮肉なことにこの学院は広い。早く他の仲間と合流したくとも、なかなか叶わなかった。
 譲が足止めの矢をいくつか放ち、三人はようやくエントランスに続く扉に駆け込む。ようやくとどめをさせるかと思ったそばからであった。
「うっ、わわわあ! また出たよ、おばけ!」
 思わず譲ら三人は耳を疑った。――聞き覚えのない声がする。
「落ち着いてくださいよ、火原先輩。どこかに隠れて、」
「待って土浦、化け物だけじゃなくて、人もいるみたいだ」
 異なる三つの声がしたことから、譲らは自分たちの他に少なくとも三人いることを知った。今は暗がりで顔は見えない。だが闇に慣れた目なら近づけば見えるだろう。
「おいおい、何でオレたちの他に誰かいるんだい?」
「俺が知るわけないだろう、とにかく怨霊をどうにかしないと」
「来るぞ」
 敦盛の声に、三人は一散に駆け出す。次の瞬間に怨霊は三人がいた場所を突き抜け、突進してきた。
「ヒノエ、行くぞ」
「仕方ないね。まあ、姫君に早く合流するためなら、やってやるよ」
 先程廊下で言っていた言葉に違わず、二人が同時に攻撃を仕掛ける。譲は後ろから援護し、程なく怨霊は悲鳴を上げて倒れ伏したまま動かなくなった。
「ったく、面倒な奴だったね」
 ヒノエが毒づいたところで、暗がりから驚きを隠せない声がした。
「――おい、藤原。いるのか?」
「……そういうお前は誰だよ」
 面倒極まりないと言った様子でヒノエが振り返り、譲たちも他に誰かいるという事態に戸惑いながらヒノエに倣った。
 ようやく顔が見える。その中にヒノエは見覚えのある顔を見つけた。
「ああ、お前、同じクラスの」





■Sample01>>青春グラフティー/幸福ホールド>>青春グラフティー(那千)

「あなた、那岐くんとどういう関係なのよ」
「いとこです」
 即答する。
 すると今度は、それだけじゃないでしょうと断定された。では、とばかりに千尋は付け足す。
「幼なじみです」
 ただし、明確にいつからとは覚えていない。
「あとは、同居人です」
 どれも、嘘ではなかった。しかし彼女らの機嫌は、本当を告げるたび悪くなるらしい。次の瞬間、頭から水が降って来た。

***

「……何してんの」
 保健室にやって来た那岐の開口一番はそれだった。彼らしいことだと思いつつ、千尋は声をかける。
「ごめんね、鞄持ってきてもらっちゃって」
「メールに気づいてくれたんですね。よかった、ありがとうございます」
 千尋に新しい乾いたタオルを渡しながら、風早が笑う。
 事情がいまいち飲み込めていない那岐に千尋は髪を拭きながらかいつまんで事情を説明する。
 あの後、頭からずぶ濡れにされた千尋はさすがにばつが悪くなったらしい上級生たちから解放された。しかし濡れたまま校内を歩くわけにも行かず、そのまましばらく服が乾くのを待っていたのだが、いくら今の季節が夏で、場所が屋外であろうとも、濡れきった服は着たままではそう簡単に乾かぬ。約一時間をそのまま過ごし、どうしたものかと思案していた矢先に、風早が見つけてくれたのだ。どうやら珍しく(というよりは初めて)授業をさぼった千尋を那岐と共に探してくれていたらしい。
「那岐ならともかく、千尋が授業をさぼるのはおかしいと思ったんですよ」
 もっと早くに行ってあげられればよかったのに、と申し訳なさそうな表情で言う風早に、千尋はそんなことはないと首を振り、改めて礼を言った。
「……おっと、すみませんが、俺はそろそろ行かないと。職員会議なんです。あとは頼みますね、那岐」
 腕時計を見やった風早がそう言い置いて保健室を後にする。代わりに入り口で突っ立ったままだった那岐が千尋の腰掛けているベッドの隣に歩み寄ってきて座った。
 しばらく那岐は千尋を見ずにあらぬ方向に視線をやっていたが、ふと千尋を見る。千尋が首を傾げると、那岐が口を開いた。
「それ、先生の服?」
「え? ああ、そうだよ。今日は体育なかったから体操服がなくて」
 貸してくれたんだ、と今着ているシャツを引っ張る。もしもの予備に置いていたという風早のシャツはさすがに大きく、袖も肩も余りだぼだぼしているが、ないよりはいい。幸いスカートと下着は無事だったので、風早が教師用の乾燥機にかけてくれている千尋のシャツさえ乾けば問題なく帰れるだろう。
「……ふうん」
 それきり那岐はまた視線をひょいと逸らして黙ってしまう。何ともなしに千尋も黙った。

■Sample02>>青春グラフティー/幸福ホールド>>恋せよ少年少女(那千)

「千尋、起きてください。千尋」
 安らかな眠りを見守っていてやりたいのはやまやまだったが、そうも行かぬために声を掛ける。今日も彼女は大将軍として軍を率いねばならないのだ。
 小さく呻いて、千尋がぼんやりとその目を開く。しばらくぼうっとしていたが、やがて視線を上げて風早を捉えた。
「かざはや……」
「はい、おはようございます、千尋」
 笑いかけると、千尋はまだ眠そうな目をごしごしとこすって、そのときようやく風早の後ろにいる柊に気づいた。
「ひいらぎ……?」
 まだだいぶ眠いらしい。寝台から身を起こしもせずにどこかたどたどしい口調で不思議そうに呟く。
「おはようございます、我が君」
 ようやく頭が覚醒してきたのだろう、もう一度目をこすると、布団の中からゆっくりと体を起こす。どこかその動作が気だるげに見えた。しかし、そんな動作を風早が気にする前に彼はそれよりも重大な違和に気づいてしまう。
 後方で柊がどこか愉快そうに「おや」と呟いたが、それさえ耳に入らぬ。
「どうしたの、風早?」
 千尋が唐突に固まった風早を訝しげに覗きこむ。しばらく動作を止めていた風早だったが、ようやく我に返って、できる限り穏やかな表情を繕おうと努力して千尋に問いを発しようと口を開いた。
「千尋、」
 しかしそれを阻むように乱暴に部屋の扉が開かれる。振り返れば、そこには珍しく明らかに焦っている表情の少年がいた。急いで来たらしく服も上着をひっかけただけで、半分はだけている。そして少年は開けるや中を確認する前に開口一番で叫んだ。
「千尋、僕の服着て――」


■Sample03>>青春グラフティー/幸福ホールド>>幸福ホールド(弁望)

 少し京を離れる、と詳しい事情を話さないままに弁慶と望美の二人がしばらく姿を見せなくなってから早二年近くが経った。文はおろか、今どこにいるのか、生きているのかさえわからない。
「朔」
 聞き慣れた声に呼ばれて振り向くと、兄である景時がどこか困ったような顔をして立っていた。
「兄上、どうしたのですか? 黒龍と遊んでいたんじゃ……」
 朔は兄の景時と新たに生じた黒龍を伴って、三人で花見をかねて邸の近場の桜の木までやってきていた。だが、見ればその黒龍が見当たらぬ(ちなみに黒龍は幼い少年の姿でいる)。
「黒龍が、突然走り出して行っちゃって」
「いったいどこへ?」
「それが、その……五条の方へ」
 少し戸惑ったように景時が言うのは、龍神と浅からぬ縁にあった望美がいたそこに黒龍が向かったからだろう。弁慶と望美は五条に居を構えて暮らしていた。
 ここ二年、からになっているはずのそこに、今は誰もおらぬはずだ。
「……もしかして」
 朔がぽそりと呟くと、景時が一つ頷く。彼もまた八葉としても彼女らと共に戦った浅からぬ縁があるからこそ、彼女たちの行方を気にかけていたのだ。
「行ってみようか」


***

 迷子だったのよ、と朔が子供に関して大まかな説明をすると、望美はそうだったんだ、と子供を抱き上げる。
「じゃあ、ヒノエくんがあやしてたんだ?」
「まあ、そういうことになるかな」
 立ち話も何だということで邸の中に入った彼らは、久しぶりに揃った顔ぶれだけに話が弾む。
「よかったね、鶴。……でも勝手にどこかに行くと母上や父上が心配するから、だめですよ」
 言い聞かせるように望美は子供を覗き込んだ。子供は今望美に抱かれている。それに、朔がそうね、と同意した。
「きっと心配しているでしょうね。まだこんなに小さいのだもの」
「早いところ親を見つけてあげないといけないね」
 景時もそう言って、九郎も頷く。望美はきょとんとして見返したが、皆子供に意識を取られて気づかぬ。
「……なるほど、そうですね」
 続いて同意したのは弁慶だ。にこやかに笑いながら、子供の頭を撫でる。


■Sample04>>青春グラフティー/幸福ホールド>>或る夏の日に(弁望)

 万緑の木々がどこか生温い風の吹くうだるような暑さの中で、唯一涼しげに枝を揺らしている。一年前のその情景をまだ望美は覚えていた。そして今もそれが変わらぬ様子であることに、なぜか嬉しくなる。
「一年ぶりですね、熊野」
 日よけの笠を少しずらして、隣を歩く弁慶に笑いかけると、弁慶もまた柔らかく微笑み返してくれる。今回で、彼と夫婦になってから、二度めの熊野訪問になる。
「ヒノエくんも湛快さんも元気でじょうか」
 過去、仲間として共に戦場で戦い抜いたヒノエは熊野別当という立場にいるため、なかなかに多忙らしく、仕事のついでとたまに京の望美たちの住家に来てはくれたが、ゆっくりは話せぬままに帰っていくのが常で、今回はこちらから訪問するゆえにゆるりと話せるだろうと望美は楽しみにしている。彼の父であり夫の兄である湛快も人柄がよく楽しい人物であるから、彼と会うのも楽しみだった。
「楽しそうですね、望美さん」
 くすりと笑った弁慶に、望美は元気よく頷く。
「だって弁慶さんと遠出って、久しぶりだから!」
 何より一緒にいられることが嬉しいんです。
 そう望美が言うと、一瞬きょとんとした弁慶が、表情をさらに綻ばせて、望美の肩をおもむろに抱き寄せてその額に口づけた。



***

 崖から山、川や海辺の砂浜まで出向いた望美とヒノエは、夕方になって帰路についた。
 この世界に日焼け止めなどあるはずもなく、望美は特に焼けて真っ赤になってしまった。だがそれも気にならぬほど久しぶりにはしゃげて望美は満足げである。
 弁慶は既に用意された部屋に移っており、声をかけて入ると弁慶の背中が見えた。
「お帰りなさい、望美さん」
 その声を聞いて、思わず望美は足を止めて固まった。――彼の声が不機嫌極まりなく聞こえたのだ。振り返ってくれぬのもいつもと違和がある。
「……ただいま、です」
 浮かれた気分も吹き飛んで、望美は二人きりの部屋に所在なげに座った。
 焼けた皮膚が少し痛く、熱い。
「……あの、弁慶さん?」
 振り向いてくれぬことが不安で声をかけるが、今度は彼は答えぬ。
「弁慶さん」
 もう一度呼ぶが、やはり応答はない。
 不安に駆られて弁慶の背中を掴んだ。――その瞬間に振り向いた彼は望美の腕を掴んで乱暴に押す。突然のことに驚いた望美はあっさり床にたたき付けられ、反射的に目を閉じた一瞬に唇に熱を感じる。息をつぐ隙も与えられずひたすらに唇を求められ、弁慶は舌を絡ませて望美から余裕を奪ってゆく。
「ん……っ」
 さすがに息がもたなくなって、弁慶の胸を押して訴えると、ようやく開放されて息が吸えた。





■Sample01>>清夏の一日、コンフュージョン。>>清夏の一日、コンフュージョン。(ヒノ望)

 なかなか返事をしない望美に焦れたのか大股で几帳を回り込んできた将臣は、そこで不自然に言葉を切って望美を見下ろした。
 将臣の視線の先では、案の定まだまどろみの中にある望美が幸せそうな寝顔をさらしている。
 それはいい。そこまではいい。――だが。
「お、おい。望美……?」
「……う、ん……?」
「寝ぼけた声上げてる場合か。とにかく、早く起きろ!」
 どこか焦った様子の将臣の声に急かされるようにして、望美はぼんやりと目を開けた。

***


「落ち着いて下さい、九郎。では、もう一度状況を確認しますよ」
 穏やかな弁慶の声がして、九郎を除くその場にいた全員がおもむろに頷いた。
「まず始めに、望美さん。君の子ではないのですね?」
「違います。だいたい、それなら私、いったいいくつで産んでるんですか」
 困惑したような望美の声に、弁慶は「すみません」と微笑んだ。
「もしも本当に君の子だとしたら、僕は相手の男を許せそうにありませんよ」
 その言葉に微かに頬を染めた望美を見て、ヒノエが不機嫌そうな声を上げた。
「御託はいらねえよ」
「では、次ですが」
 その声はさらりと無視して弁慶が続ける。
「将臣くん、譲くん。君たちは本当にその子に見覚えがあるんですね?」
「ああ。つっても、俺たち自身も小さかったから若干不確かだけどな」
「けど、大きくなってから昔の写真なんかも見ていますし、間違いないかと思います。信じられませんけど、その子は確かに……」
 そこまでで一旦言葉を切って、譲は望美の隣に座る少女を見た。
 深い海のような翠の瞳に長く伸ばした紫苑の髪。
 まだ幼い面に不安げな表情を浮かべて周りの様子を窺っているその少女に向かって、弁慶はやわらかく笑んで見せた。
「では、最後に。もう一度だけ君の名前を教えてくれますか?」
「のぞみ。かすがのぞみだよ」


■Sample02>>清夏の一日、コンフュージョン。>>コトバ キモチ(遠千)

「あのね、遠夜。もう一度言うね。えっと、その、悪いんだけど、せめて行軍の間だけでも私の側から離れてて欲しいの。て言うか、遠夜だって私にくっついてばかりじゃつまらないでしょ?」
 先ほどの失敗を糧に、今度は一気に畳み掛ける。
 だけども、ああ。
 お願いだから、そんな置き去りにされる子犬みたいな顔しないでよ。
 遠夜はしばらく考え込むように黙ってから口を開いた。
(……オレは、神子の側にいることが嬉しい。神子は……迷惑……?)
「め、迷惑とかそんなのじゃなくて。ただ遠夜も少しずつ那岐たちとも仲良くなってきたじゃない。だから、一緒に歩いたりしてもいいと思うよ、うん」
 この場に那岐がいたらきっと、バカじゃないとか何とか言うんだろう。それでなくとも男だらけなのに、これ以上でかいやつに囲まれるのはごめんだとか。
 それでもこっちだって必死なのだ。心の平穏と正常な心拍数を保つために。